日本人が温泉を楽しみだしたのは縄文時代まで遡ります。
起源は病気治療のためと言われています。
「湯治」を習慣的に行っていたんだそうです。
時は流れ明治9年、学術的に湯治場の発展に大きく貢献したのが
現在の東京大学医学部の教師として招かれたドイツ人医師ベルツです。
ベルツは草津温泉を訪れ、温泉の成分を分析し、
民衆に正しい入浴法を指導しました。
「草津には優れた温泉以外に、最良の山の空気と理想的な飲料水がある。
もしこんな土地がヨーロッパにあったとしたら、
チェコにあるカルロヴィ・ヴァリ(温泉地)よりも賑わうことだろう」
と草津を称賛し、日本の草津を世界に紹介したんだそうです。
1900年代半ば、特需景気で日本経済が一気に潤うと、
会社の慰安旅行等で1泊2食付の宴会形団体旅行によって温泉が熱い注目を浴びました。海外旅行ブームで温泉人気は一旦、下火になったりもしましたが
1989年、当時の竹下首相が全国の3300の市町村に1億円を交付した
「ふるさと創生事業」がきっかけで、この交付金を使って
全国300近くの市町村が温泉掘削に挑戦したともいわれ、
温泉利用者の年間延べ人数が1億2000万人を突破するほどまでになっています。
体や心の疲れをいやすため、温泉に出かけるという人が多いのではないでしょうか。
温泉とはどんなお湯のことかご存知ですか?
地下からの湧水で、医学的見地から治癒成分を含んだ水のことを「鉱泉」といいます。
そのうち、暖かいものを温泉と称すのだそうです。
日本にはいくつの温泉地があると思いますか?
なんと、届出が出されているだけで3157か所の温泉地と28154か所の源泉、
15024か所の宿泊施設があるんだそうです。
明治の文豪、志賀直哉の『城の崎にて』をご存知ですか?
兵庫県北東部にあるの城崎温泉が舞台となっています。
このように、日本文学の作品には多くの温泉地が書かれています。
有名な『坊ちゃん』。言わずと知れた夏目漱石の著書ですが
ここでも道後温泉と温泉地が舞台です。
道後温泉は漱石だけでなく、多くの文豪に愛されてきました。
近代俳句の父といわれた正岡子規をはじめ、菊池寛、
与謝野晶子など、きりがありません。
なぜ文豪たちは温泉地を好むのでしょう。
原稿を書くのに欠かせない静かな環境を求めて執筆の場として、
小説舞台として、温泉町のひなびた感を選び、
さらには現代人にも通ずる「湯治療養」のために
温泉を好んだのではないでしょうか。
今回は、日本全国文豪たちが愛した温泉地をピックアップし
ご紹介していきたいと思います。
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猿が見つけた花巻温泉。そこを愛したのは宮沢賢治だけではないんです。
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詩歌の歴史に偉大な足跡を刻んだ萩原朔太郎も愛した草津温泉
東の横綱「草津温泉」ほんとに良いとこ一度は行きましょう!
晩年20年を湯河原温泉に居を移した山本有三
万葉集にも詠まれた由緒ある名湯「湯河原温泉」
湯田中温泉で一茶の名を世に知らしめた自由律俳人萩原井泉水
古くから多くの文豪俳人に愛された湯田中渋温泉郷
太宰治が妻を愛したからこそ湯村温泉で過ごした新婚生活
弘法大師や武田信玄等多くの伝説が残る湯村温泉
医学者であり詩人であり戯曲家でもある木下杢太郎が愛した赤倉温泉
皇族をはじめ多くの文人墨客に愛された避暑地赤倉温泉
中里介山が名付けたといっても過言ではない長野の秘湯白骨温泉
静かな山間の温泉地白骨温泉は古き良き日本のふるさと
新田次郎の愛した噴火が生んだ洞爺湖温泉
丹波文雄の小説「晩秋」の舞台にもなった支笏湖畔の温泉宿
童話作家深澤要が本業よりものめり込んだアルものがある鳴子温泉
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